世界旅日記

フィリピン人と結婚した日本人妻によるハロハロ(雑記)ブログ

もっと真剣に生きる年に

2013年にやりたいこと
 1月、まだ正月気分が冷めない時、フィリピンで1年弱仕事をしていた同僚Eさんがガンのため亡くなりました。50代半ばのその短く、しかし燃焼しきった人生に遠くオランダの地より思いを馳せながら、自分の生涯貫いてやり通すミッションを忘れるな!というメッセージが聞こえてきたようでなりません。

 
 難しいことに、団体での役職の設定上、わたしが彼にとっては上司のような立場になってしまいます。とりわけEさんの前では「わたしが君の上司だ!」なんて思ったことないけど、一回りもふた回りも違う小娘に「上司なんだからしっかりせぇよ」と無言のうちに仕事への真剣さを問われているように思われプレッシャーを受けていたように感じました。そういう環境下で鍛えてもらったように(一方的にも)思う訳です。

 オランダに移り住んで「プチ・リタイヤ」のような生活に猛烈なストレスを感じつつも、何となく慣れていくしかないと、どっちつかずであったと、彼の死を通じて感じました。同僚の死が今は感傷よりももっともっと先に進んでいくための力となりつつあることを感じます。

 「もっと先へ」。。。見たい世界があって気がついたらNGOで働いて、志を共にするけど時には真っ向から向かい合って一緒に仕事できる人たちに会うことができました。駆け抜けた20代、大学卒業時から行きたいと思い、ようやく念願かなった大学院の勉強とともに始まった30代。
 30代ももう少ししたら、半ばに差し掛かります。これまでの歩みでよかったのか?何が足りないのか?年末から2013年にかけて、この限られた環境で何ができるのか?を考えてきました。資格試験勉強?主婦業を頑張る?博士号へのアプライのためのプロポーザルを書く?具体的ながらもどれも今の自分には、少し一般から外れた生き方への不安からの対処療法に過ぎないように思えてしまうのです。だからといって本当にやりたいことを見つける年というふうにはならないくらい、自分の中で人生をかけて取り組んでいきたいものの形があるのです。
 
 考えて、考えて具体的な思案は一行に浮かんでこないけど、自分にとっての“本当”のこと真剣に、真摯に生きるに尽きるのではないかとしみじみ感じます。その中で道が開けるのかもしれないと思っています。
今まで真剣に生きてこなかったわけじゃないし、よく聞く途上国の現状を見て自分たちは恵まれているからもっと頑張らなくちゃ!という比較の中の気付きでもないです。
ただバカみたいに真剣に毎日を生きること、例えば「しっかり旦那に毎日(感謝でも愛でも、怒りでも)向き合って気持ちを伝える」「人の心を深く感じれるようにしっかり人の話を聞く」「自分の感情、ネガティブだろうとポジティブだろうと、向き合うこと」なんて類のこと。自分にとって“本当”のことに真剣にエネルギーを傾けたら、本当に生きたと実感できるんじゃないかと思ったりします。

 Eさん。こんな感じに思っていますがどうですかね?

 「え、そんなの今更気がついた〜もっと具体的にしてちょ!」

 ガ━━(゚Д゚;)━━ン!

 なんて、言わないでください。