世界旅日記

フィリピン人と結婚した日本人妻によるハロハロ(雑記)ブログ

OFWの事情とビスコンデ母娘虐殺事件

 今日はビスコンデ母娘虐殺事件のケースコンフェレンスの様子がテレビで生中継されました。事件の様子がこのような形式で生中継されるのは驚きですが、この事件の凄惨さと二転三転した事件の顛末、そして容疑者の一人が俳優・バスケットボール選手でかつパラニアケ市の議員を父にもつヒューバート・ウェブ(以下ウェブ)であるため世間の耳目を集めました。また、一家の唯一の生存者は父であり、当時海外でOFW(Overseas Filipino Workers:海外に出て働くフィリピン人労働者)として働いていた父ビスコンデ氏だったためだと思われます。現在8600〜11000万人のフィリピン人が海外で生活し、生計を立てていると推定されています。人口の約10%にあたります。親族に必ずひとりは居るという計算になるでしょう。ですので、ビスコンデ母娘虐殺事件は人事ではないと思われます。

事件の概要と経緯
 1991年6月30日、パラニアケ市のビスコンデ一家の母と娘2人が惨殺されるという事件が起りました。母(当時47歳)には30箇所の刺し傷、19歳の娘は17箇所の刺し傷と刺殺される前にレイプ、7歳の娘にも19箇所の刺し傷が認められました。容疑者は3名、犯行中も薬物を使用していたとのことです。事件当時、父はアメリカにて働いており不在でした。
複数の目撃証言からウェブをはじめとして複数の容疑者が浮かび上がりました。
1995年8月にパラニアケ地裁で裁判が始まりました。

アリバイ
 ウェブは1991年の3月9日から1992年の10月26日までアメリカに滞在していたと、目撃証言並びにパスポート、それに準ずる旅券などを示し自らのアリバイを証明しておりました。

事件の解決をここまで困難にした要素

 事件当日駆けつけたパラニアケの警官ジェラルドが指紋を拭き取り、衣類を焼却し、遺体を火葬したため物証が残らなかったのです。この警官は現在証拠隠滅の罪で15年の服役中、現在も沈黙を保っているそうです。

本日の生中継で印象に残った点
 Webb/Hとしか記されておらず、アリバイをしめすには不十分であるとし、ケースコンフェレンスでは容疑者の一人であるヒューバート・ウェブは事件が起こった時期にフィリピン国内居たという結論に至った訳ですが、もうすでに最高裁が彼らを釈放しているため、もしより有力な証言が出てウェブのアリバイを崩せたとしても同じ罪状で彼らを捕まえることができません。実際ウェブ氏のパスポートは本物で、押されていたアメリカ入国のスタンプも本物とのこと。
 
 今や問題は正義の執行、ウェブ氏の有罪か否かに留まらず、OFW(フィリピン海外労働者)にかかる問題と捉えるべきでしょう。ビスコンデ氏は海外で数年、家族と離れて働き、家族を支えていました。ところが、その家族は惨殺され、働いていた目的がなくなってしまいました。
 2010年11月、ウェブ氏が最高裁の判決で無罪とされ、釈放されたときにビスコンデ氏が泣き崩れている姿が報道されました。20年を経た今も容疑者を捕まえることができず、残された遺族の苦悩が伝わります。

 このケースはOFWがフィリピン不在中に殺人までに至ってしまったケースですが、OFWとして家族を残して働いている人たちがお金は得たけれども、奥さんが既に誰か別の人と一緒になっている、子どもが不登校になっている等の家族の問題が起こってしまっているケースも聞きます。フィリピン国内の産業が彼らに安定した収入をもたらし、海外に家族を置いて働きに出なくてもよい状態が生まれることをねがいつつ・・・

参考
http://sc.judiciary.gov.ph/jurisprudence/2010/december2010/176389.htm